不燃物置き場の前

書きたいことを書きたいときに

高緑はいいぞ(唐突)

高緑はいいぞ。

無性に高緑について語りたくてほかのことが手につかないので書く。
これは消化しなくちゃ。

 

緑間はいいとして高尾の情報がないよね。
高尾を語ろう。

 

高尾は少年漫画の主人公ポジレベルのエピソードもちなんですよ。
主人公黒子のライバルポジションにいるのも高尾。
主人公の能力封じスキル持ちで、黒子ともキセキの世代とも同学年。
一年レギュラーで、キセキに認められてる黒子をライバル視してる。

 

まずはプロフィールがいるかな。

高尾和成

緑間と同じ秀徳高校1年。ポイントガードポイントガードは司令塔。
一年でレギュラーなのは緑間と高尾の二人だけ。
実力も努力もしているけど、強豪校で一年がPGやるのは、
緑間を3年間フルで生かす司令塔を育てる意味も大きいんだろうなあ。
それに気づかない高尾じゃない。
実力で部員を納得させなきゃと思っている。

 

性格はコミュ充。誰とでも仲良くなれる。
とてもフレンドリーで、変人緑間にも屈さずに入学当初から
仲良くしようと試みているし、おそらくは4月のうちに
チャリアカーを引いてるほど打ち解け(?)ているコミュ力おばけ。

 

実は中学の時に緑間にぼろ負けしていて打倒緑間!
と、意気込んで努力していたんだけど、
無事強豪校に入学して入ったバスケ部には緑間がいて。
これからの3年間は緑間のためのチームを作ることも暗に決まっていて。
緑間を倒すという目標は入学そうそう崩れ去ったのでした。

じゃあもうPGとしてやることはひとつ、緑間を懐柔しないと、と、
ぐいぐい距離を詰めるわけです。 

 

変人緑間を面白いといい、学生生活も部活も居残り練習もずっと一緒。
その居残り練習は強豪高校の部活の後に行うわけだからとてもつらい。
体力ゲージのおかしい緑間はともかく、ついこの間まで中学生だった
高尾には相当厳しいわけなんだけど、高尾は食らいつく。

高尾は緑間を倒すという目標はきえてしまったけれど、諦めはしない。
納得のいくゴールを探している状態。
緑間からは友好的なようで野心のある目に見えていたらしい。


そうしてべったりと緑間と生活しているうちに高尾は気づくんです。

緑間がめちゃくちゃ努力家で、バスケをしている時間だけでなく、
生活のすべてをバスケに注ぎ込んでいるバスケバカだと。

天才なうえに凡人以上に努力をする、コイツはすごい。
これは認めざるを得ないと。

 

ここで、高尾の目標が、緑間を倒すことではなく、緑間に認められることに
変わっていく。
緑間のバスケを最大限にすることで相棒として認められることが
高尾の新しい目標になる。

 

緑間のおかしなゲン担ぎやわがままも面白いし、
バスケのためだと本気で思っていて、そのためにできることは
すべて行動するべきと考える緑間はなんだかけなげなように見える。
そこも込みで好感が持てるし、面白いことは乗らなきゃソンソン。


なんやかんやのそんなこんなで完成した緑間の秘密兵器は
高尾が緑間のシュートフォームに合わせてパスを送るというもの。
天才緑間が高尾のパスを信じ切って待つという、高尾の目標達成とも言えるもの。
高尾の鍛錬やら交流やらわがままの世話やいたりやらの
もろもろの努力で勝ち取った信頼を、新技の完成という形で見せてくるのがずるい。

非常においしいですね!

緑間はあれで結構情に厚いとこあるので、日々の努力で、高尾はすごいと
認めてはいたんだけど、それだけじゃ高尾には多分足りなかった。
バスケで緑間に頼られて初めて目標に届いたと言えるんだろうな。

高尾くんおめでとう(?)

 

次回は社会人編、「社会に出ると、高尾のコミュ力のすごさを思い知るのだよ…」
を妄想100%でお送りします ※本編は存在しません。

閲覧ありがとうございました!

 

 

これでおしまい。

と、いうわけで、はなまるぴっぴは不穏エンドではなく、応援・希望エンドでは?

という歌詞考察を終わります。


最後に少しだけタイトルについて語る

「はなまるぴっぴはよい子だけ」

はなまるぴっぴを与えて貰えるのは子供のうちだけ、大人の六つ子は自身が薔薇、つまり花を与えられる子供時代を卒業し、与える側になることを示すのかな? と思います。

これは子育てに限らず、社会を回す側になる、という意味で。



とはいえ、まだまだニートな彼らを見ていたいので、モラトリアム続けて良いのよ、と声を大にして言いたいです。

2期をとても楽しみにしています。


これでこの考察はおしまい。

お付き合い頂きありがとうございました!!

放置してた、曲考察の続きの話

前回記事を読んで下さった方ありがとうございます。そして長らく放置していて申し訳ありません。

2番の考察が上手くまとまらずそのまま放置→忘却になっておりました。。
続けるのも今更なので、いちばんやりたかった部分の考察だけ書いて終わりにしようと思います。
 
はなまるぴっぴの曲で印象的なラスト、
「ちら盛りの美学や ばらばら」の「ばらばら」部分の考察です。
 
 
「ばらばら」は「薔薇バラ」
 
ばらばら、はそのままの意味だと離散・離別と取れますが、1番で少し考察した「わらばら」と合わせると印象が変わってきます。
 
私は1番の「わらばら」は藁ばらと解釈しています。
藁は集まって初めて意味を成すもの、その藁をばらすとはつまり単体では価値がないことを指すのだと思います。
これは、くん時代の六つ子のことではないでしょうか。
1番では、六つ子というだけでチヤホヤされた話を描いて、最後に単体での意味の無さで締めている、というのが私の1番全体の解釈です。
 
対して、2番は手探りの"おそ松さん"の六つ子なのでは? というのが私の推察です。(考察をしたかったのですが、うまく解読できず、放置となっておりました)
その2番の締めの「ばらばら」。
 
ばらばら=薔薇バラ 
個性を持った大人の六つ子たちはそれぞれが1本でも価値のある薔薇だ。
 
ここがこの「応援歌」の一番の応援メッセージだと私は思います。
 
その前の部分は1番の考察と同じなので(ちら盛りの美学=同じ顔の盛り合わせ=六つ子)合わせると、
 "六つ子は1人ずつに価値がある"
となります。
 
子供の頃に生まれながらに六つ子という強烈な個性を持たされ、大人になれば取り上げられるというのは精神的に厳しいことと思います。
はなまるぴっぴはそれに対する応援歌、六つ子も一人ひとりの人間なんだよ、という歌なのではないでしょうか。

はなまる考察の前提条件

書くの忘れてました。

私は、はなまるぴっぴは六つ子への応援歌と解釈しています。

作者様がこの曲に関して、応援歌のようなものという内容にとれる発言をされているようなので(超曖昧)。


巷ではホラーっぽい考察などもありますが、私はホラー、グロ、死ネタ等が苦手なので、その方向は全力回避して考察します。

ホラー苦手な方にも安心の設計です。

安心安全な考察を見たい方向けです。

むしろ私が安心したいがために書いています。

超恣意的ですが(ホラー回避的な意味で)、そんな解釈もあるのかー、もしくは、ないだろーくらいに思っていただければ幸いです。



では、本当に死という表現が無いのかについて少しだけ。

考察本編には六つ子の死とは関連付けないと思うのでここで書かせてください。


死を連想させる表現は確かにあるとは思いますが、六つ子が死んでいたとかそういう直接的な死ではなくて、赤塚先生が作った六つでひとつというキャラクターの死、なのではないかと感じています。

おそ松くん時代の六つ子は六人に1人分しかキャラクターが与えられていなかったのではないかな、と。

カラ松と十四松の歌っていた六つ子の歌にもありましたよね、六倍じゃなくて六分の一。

赤塚先生亡き後、六つ子はそれぞれ残りの六分の5を探している最中なのだと私は思います。




おそ松さんOP曲、はなまるぴっぴの考察 その1

アニメは2期に入っていてかなり今更なのですがおそ松さん一期OP曲「はなまるぴっぴはよいこだけ」の考察してみました。

解釈が固まったところだけですが。。

箇条書き…かどうかすら怪しいメモ書きです。文章能力皆無ですすみません

 

 

ひらりひらり=花吹雪=赤塚先生生誕80年祝い

嫌よ嫌よも好きのうちの意味も含めて、

→(おそ松さん制作で)やりたい放題なのも赤塚先生リスペクトゆえです

 

カミカゼ沿う太陽

昭和感と戦争を思わせる歌詞から

カミカゼの吹く方向は、日から米=西から東

それに沿う太陽も西から東へ、つまり「西から昇ったお日様が東に沈む」

→これぞ赤塚イズムに沿っている

 

たいへんなの 〜   (後で考察します)

 

新型ギミック→六人にあえてひとつしか個性を与えない、六つ子というキャラクター(→後の時限式カラミティに繋がる)

革命的なひと→赤塚先生

 

ここからはじめて古今東西

→似たもの集めのゲーム(古今東西)からはじまった

 

鳴りやまぬ花 焼べるは水平線

解釈①

鳴りやまぬ花=花火=太陽

太陽を水平線にくべる=日没

鳴りやまぬ=繰り返し

→(日没の繰り返しで)年月が経った

解釈②

花=過去の栄光(おそ松くん時代)

花を焼べる=(時間経過による)栄光の消失

→時間経過による栄光(もしくはキャラクターそのもの)の消失

めろめろとろけて

→六つでひとつというギミックが時間経過によって崩壊する(自立しないといけない)

ぽぽんちゅうちゅうさ

ぽぽん(液体)=疲れに効く昭和の栄養ドリンク=ドーピング剤。リゲ◯ンとかのイメージでいいのかな?? 無理矢理頑張る感じ。

→ドーピングで復活(リセット?)

ほぽんは、後に、「ゴチで」などの表現があるので、支援・援助を示している。

親の金でニートをしている現在のこと?

 

 

明日も昨日のよいこだけ

明日=おそ松さん(大人)

昨日=おそ松くん(六つでひとつ)

よい=周りの求める姿(六つでひとつ)

こ=子供

昨日のよいこ=おそ松くん時代のように六人で一緒に行動することが求められている

おそ松さんでもおそ松くん時代のように六つ子で一緒にいるよ、それが存在意義だから。(だからニートだよ)

 

はなさかせ時代は ふり売り

雨にも風にも負けた

はなさかせ時代=おそ松くん時代(栄光の時代、アイドル時代)

ふり売り=子供(や老人などの弱者)だけが開業できる比較的簡単な商売 ※歌に合いそうな部分のみの抜粋です。正しくはググって下さい

雨にも風にも負けた=休業が多くても採算がとれる=苦労しなかった

→六つ子は昔は苦労をせずとも人気者だった

 

ちら盛りの美学や

ちら=沖縄ことばで顔(これはこじつけかも…)

盛り=かご盛りとかのまとめ売り

→同じ顔が六つも! というまとめ売りにこそ価値があった

 

わらばら

わら=藁=まとめて初めて意味を成すもの、単体では無価値

ばら=バラす

→六つ子1人ひとりには価値(個性?)がない

 

 

まずは1番の歌詞の考察でした。

1番はおそ松さん開始時の、おそ松さん(番組制作的な意味と六つ子たちの両方)の立ち位置、開始位置の説明のような印象を受けました。

 

今日はここまで。

次回2番の考察をしたいと思います。

 

 

はじめに(という言い訳)

おそ松さんの一期OP曲の歌詞が意味深で気になりちょっと考察とか観つつリピート再生していたら、自分解釈が固まってきたので文章化してみようと思い立ちブログとか作ってみました。